芸術監督 _
顧問音楽療法士 青拓美
2024年7月1日「第一回ミュージック・フェス2024年」が戸田病院
コスモスホールにて開催された。
戸田病院、川口病院、コスモス苑の入院患者様やデイケア利用者様
(約250名)が演奏や観客として参加され、大盛況であった。
冒頭に基調講演を青先生にお願いしたので、ここにご紹介掲載します。
(編集部)
こんにちは。私は戸田病院と川口病院のデイケアと精神科病棟作業療法プログラムの音楽療法を担当している青拓美と申します。
初のミュージックフェス開催にてお話しする機会をいただき、光栄なことと感謝申し上げます。この機会に髙仁会の音楽療法の歴史を振り返り、みなさまと共有したいと思います。
私と音楽療法の出会いは、東京芸術大学声楽科在籍時の心理学の桜林仁教授の授業でした。音楽療法について熱心に語られていたことが最初の出会いです。そして、1982年卒業した年に留学する藝大の先輩から引き継ぐ形で、大宮厚生病院の音楽レクの講師として精神科の音楽の道に入りました。
さて髙仁会の音楽療法は、会長のお父上角次郎先生の東大の後輩にあたる永田丕(はじめ)先生が正式に始められたと聞いています。永田先生は戦中に東大で外科を学ばれ、終戦を松代の大本営で迎えられ、無医村だった、長野県中野市の診療所で地域医療に身を捧げた方です。永田先生のお父様は東京芸大の初代のホルン科の教授で、ご本人もピアノが達者で、定年後は音楽療法をやりたいと若い頃から考えていらしたようです。
永田先生は30床の小さな診療所を千数百床の大病院に育てあげられた中で、総合病院には必ず精神科が必要だとのお考えから、信州大学の西丸四方先生に私淑され、外来の激務をこなされながら、精神科の勉強も続けられていたようです。
信州・中野総合病院を定年退職後、ソルボンヌ大学に音楽療法の研修生として留学。帰国後、髙仁会の精神科医師として診療の傍ら、音楽療法の実践を始められました。
永田先生は音楽療法をやるには発声法が大切であるとのお考えから、私のボイストレーニングに熱心に通われました。
1993年に信州中野に隠居されることとなり、私に戸田病院の精神科音楽療法を託されました。私35歳の時です。思えば髙仁会には30年もお世話になっております。
2000年から川口病院でもデイケアと病棟の音楽の時間を担当させていただき、現在に至っています。
2000年3月14日(リリア)&10月29日(戸田市文化会館)にて「さいたまこころの健康フェスティバル」戸田・川口合同で患者様スタッフと共に合唱参加。
2004年12月4日埼玉県民フォーラム音楽療法 in 彩の国にて
「提言 音楽療法の可能性と音楽療法士に求める専門性」シンポジウムに会長がシンポジストとしてご参加。
2013年6月22日第2回日本精神科医学会学術大会にて会長発案の
「音楽療法の治療有効性をめぐって」シンポジウム開催が実現し、いずれも髙仁会における音楽療法の充実を世に示す好機となりました。
一方、日本音楽療法学会が、音楽療法士なる福祉法下における国家資格化を拙速に進める中、障碍者団体も求める医療資格としての音楽療法を志す者が集い、2006年に日本臨床音楽療法学会、2007年に日本臨床音楽研究会が設立され髙橋会長に顧問をお願いし私が会長を拝命いたしました。
そして2011年には第5回日本臨床音楽研究会が戸田病院コスモスホールで開催されました。
いずれも髙橋正和会長の音楽療法に対する深いご理解と大きなお支えのもとに実現し得たものです。ここまで髙仁会の音楽療法の流れを語らせていただきました。
後半に続く